沖縄旅行記1




〜沖縄本島の旅〜



2008年4月29日
家族(主人と娘とわたしの3人)で沖縄に行ってきました。
娘の卒業祝いを兼ねて久し振りの家族旅行です。沖縄は3人とも初めてなのでツアーでいきました。
羽田からの飛行機の出発時間が早かったので、前日(28日)は都内のシティホテルに泊まり、29日早朝にバスで羽田に向かいました。

わたしは耳が痛くなるので飛行機が大嫌いです。体質なのだと思いますが、特に着陸の時、ガムをかんでいても鼓膜がやぶれそうに痛みます。
それくらいは我慢しなければいけないのでしょうけれど……。それに離着陸時のジェットコースターに乗っているような感覚が恐ろしくて、ずっと祈っていました。





まず最初に訪れたのがひめゆりの塔です。高い塔を想像していたのですが、実際は数十センチの小さな石の塔でした。(写真中)
塔の向こう側に第三外科壕がありました。(写真右)
第三外科壕は1945年6月19日朝、黄燐手榴弾などの攻撃を受け、壕にいた96名(うち教師5名・生徒46名)のうち、87名が死亡したそうです。
さらに壕の生存者9名のうち教師1名と生徒3名は壕脱出後に死亡しました。第三外科壕にいたひめゆり学徒隊のうち沖縄戦終結まで生き残ったのはわずか生徒5名だけだと聞いて胸が痛みました。
ぱっくり口を開けた穴をのぞくと、彼女たちの叫び声が聞こえてくるようでした。

資料館に入ると第三外科壕を底から見上げた形で原寸大のジオラマがありました。また、南風原陸軍病院壕の一部を再現した原寸大模型の前で、おばあさんが語り部として証言していました。
時間がなくて聞くことができず、残念でした。貴重な体験を語り継いで下さる方の健康が支えられますように、聞いた人たちが戦争の悲惨さを知り、2度と戦争を起こすことのないように祈りました。





次は平和祈念公園を訪れました。立ち並ぶ石碑に大勢の方々の名前が刻まれていました。
家族や知人が見つけやすいように村ごとにアイウエオ順で書かれていました。
尊い命、まだ生きられる命が戦争によって断ち切られてしまったことを思うとたまらなく悲しいです。

  公園からは紺碧の海が見え、息をのむほどの美しい景観ですが、あの崖から何人もの人が追い詰められて飛び降りていったとの説明を聞いて胸がつぶれそうになりました。
沖縄観光というと世界遺産やリゾート地をまず第一に考えますが、観光ツアーでまず最初にひめゆりの塔と平和祈念公園を訪れたのは価値あることだと思いました。沖縄の悲惨な歴史を忘れてはならないのですから。






平和祈念公園をあとにして、新原(にいばる)ビーチにてグラスボートに乗りました。新原の海は祈念公園から見える海と違ってエメラルドグリーンです。
サンゴ礁のある遠浅なところがエメラルドグリーンなのだそうです。沖の方は青い海で、線を引いたようにくっきりと分かれています。
ボートの真ん中に大きな水槽のようなものがあり、その両側にすわってのぞきこむと、海の底まで見えました。船から餌をあげているのでしょうか。たくさんの魚が集まってきました。
上(中央)の写真は、娘のデジカメからの映像です。(小さな青いのが魚です)わたしのカメラではよく映りませんでした。


約20分ほどの遊覧を終えて、ビーチを散策しました。白い砂浜です。サンゴのかけらや貝がたくさん落ちていました。拾った貝をビニルに入れて持って帰りました。
3日後に中を開けると巻貝の中から体調5ミリほどの小さなカニが出てきました。水も入れてなかったのに生きています。生命力にびっくりしました。







沖縄旅行でわたしがいちばん感激した場所は玉泉洞(ぎょくせんどう)でした。玉泉洞は、おきなわワールドの中にあります。
長さ4500メートル(公開されているのは890メートル)で、日本の洞窟では第7位だそうです。
何万年もかけてできた洞窟です。発見される前までは、暗闇の中でした。
神様はなぜこのような芸術的な美しさをもつ洞窟を造られたのだろうか……など考えながら見学しました。
洞窟を出ると、エイサーの踊りもやっていましたが、バスの集合時間に追われ、急いでて駐車場にかけつけました。





夜は、紫咲むらというところで琉球の踊りを見ながら沖縄料理をいただきました。

4月30日




沖縄旅行2日目は、まず始めに座喜味城(ざきみじょう)跡を訪れました。座喜味城は、築城家として名高い護佐丸(ごさまる)が、15世紀初期に築いた城だそうです。
石垣しか残っていませんが、その石垣はくずれないように積み方が工夫されているそうです。アーチの真ん中にくさびが埋め込まれています。その時代によく造られたものだと感心しました。 首里城の石垣は、ほとんどが復元だそうですが、座喜味城の石垣は600年くらい前のものです。一つの石を抜き取ってもくずれないというのには驚きました。 石といえば、自らを「礎の石」であると言われたイエスキリストに思いをはせます。
「見よ、わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼するものは、決して失望させられることがない。(Tペテロ2-6)」
石を抜き取られても崩れない石垣のようにイエスさまを信頼していれば、揺らぐことがなく、失望することもないのです。



琉球村では、沖縄風パレード「道ジュネー」を見学しました。



次に立ち寄った万座毛(まんざもう)からの景色はすばらしかったです。海は東シナ海になります。

尚敬王(しょうけいおう)がここの平らな芝生を見て、「万人が座るに足りる」と言ったところから名前がついたとか。
地面は天然芝の所が多く、アダンの林もあり、亜熱帯的風景です。
イエスさまもこのような山上で「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです」と言われたのでしょうね。





琉球城でお昼をいただき、蝶々園に行きました。本土では見られないオオゴマダラが、乱舞していました。
赤い帽子をかぶると、とまってくれました。オオゴマダラのサナギ(写真右)が黄金色だったのでびっくりしました。(2へつづく)
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